若林区沖野、六郷地区のhal学習塾です。
今回は367点(中1・2学期中間)から480点(中3・1学期末)に上がった子の話。
中1の367点だったときの点数の内訳はこちら。
国語:81点
数学:67点
英語:78点
社会:63点
理科:78点
5科:367点
この点数で学年順位はこのとき40番くらい。
この子がいかにして480点を取れるようになったのか?!
この子はですね、まず
①言われたことは素直にやるタイプ
②新しい考え方を受け入れる、理解するのに時間がかかるタイプ
③理解してしまえばどんどん「プリントくれ!」って言うタイプ
の子でした。
あ、それと
④2つ上のお姉ちゃんがライバル
ですかね。結構この④は大事な要素でして・・・次のブログで書きます。
まずこちらの目論見としては、①の「素直にやる」ことをうまく利用して
「理社の得点を伸ばして次のテストで400点をとらせる!」
これでした。まず400点台をとってもらい、自信をつけてもらおうと。
この子の場合、入塾してからしばらくは、
「なんとなく」
勉強しているといった感じで、
学校のワークは、学校の先生から言われたとおり3回は繰り返す
塾の宿題はできる範囲でしっかりやってくる
板書はなんとなく写す
こういう姿勢の子だったんですね。
この「なんとなく」が問題だったのです。
どういうことかと言うと、
「言われたことを忠実にこなすことが目標になってしまって、自分が理解したか、覚えたかというところを全く気にしていなかった。」
ということです。
そこで彼女には理社のテスト対策で宿題の出し方(こちらの言い方)を変えてこう言いました。
「次の試験範囲までの社会、理科の重要語句は社会で150個、理科で80個ほどある。全てこの一問一答プリントに載せているから、次の授業までに社会は140個、理科は75個覚えてこい。」
これが効果あり!!
次の授業で同じ問題をやってもらったのですが、どちらの教科もこちらの言ったラインをクリアしてきました。
もとから言われたことを素直にこなすタイプの子だったので、ただ「やってこい」というのではなく、「達成条件をつけた」のです。
もちろん、「この子ならこのくらいの負荷を与えてもやってくるだろう。できるだろう。」ということを思いながら。
そして今度は、「次の授業までにどっちもパーフェクトな。」
で、結果はと言うと、
社会の漢字ミス2つくらい、理科はパーフェクト
こんな感じだったと思います。(記憶が定かではない。)
こうして学年末テストに臨んだところ、
社会:63点→79点
理科:78点→82点(理科で80点台はこのとき初)
という結果となり、他の教科は?というと、
国語:82点(自己最高)
数学:71点
英語:91点(初90点台)
社会:79点
理科:82点
5科:405点
と、1年生最後のテストにして見事400点のカベを突破してくれました。
(こちらとしては社会90点、理科90点を目指していたのですが・・・)
そして順位も40前半からから20前半へ!
・・・・・・・・・
いや、ちょっとまてよ?
「理社もだけど英語がなんでこんなに上がったの?」
これが思わぬ副産物でして・・・
彼女、英語は突然覚醒したんです。
まあきっかけはあるんですが。
これまで、英語の勉強も「なんとなく」やっていて、英語のルール、つまり文法を受け入れることができず、テスト勉強でやることといえば教科書例文暗記と単語練習。
文法が分からない状態なので、ちょっとひねられると、その途端に「???」となってしまう。
そこで、彼女にはまず、be動詞、一般動詞を説明した上で、以下のことを何度も言い続けました。
「英語は日本語と違う。」
「英語って結構親切で、言葉の順序ってのは聞き手が知りたい順なのさ。」
「ただ、場所と時間は優先順位が決まっていて、時間は後回し。マンデーとかいつも最後でしょ?」
「疑問文なんかもワンパターンで、聞きたいことを疑問詞にして前に出す。そうしたら残った部分を疑問文にしてうしろにくっつけるだけ。」
「とにかくね、聞く人に合図送ってんのが英語なの。」
そしてあるとき、これを自然と理解できたようで、
「せんせ~、なんか英語分かっちゃいました!なんかめっちゃ分かった!聞きたい順番と合図って考えれば楽勝!※」
(※ちょっと何言ってるのかわからない。って人もいるでしょう?うちに来れば分かります。みんなに教えています。)
と言ってきたのです。
(いや~よかった、良かった。)
学年末テスト以降も2年の1学期中間98点、期末96点と高得点を連発するようになります。
(その後油断して、単語練習が疎かになり次の2回のテストでは85点、89点でしたが・・・)
今回はここまで。
次回「お姉ちゃんがライバル!追いつけ追い越せお姉ちゃん!」
※お姉ちゃんは元塾生なのですが、校内テストでは450点、模試では偏差値60オーバーと、この子にとっては最強お姉ちゃんだったのです。