「多様性」という言葉をよく耳にするようになりました。
学校でも、企業でも、SNSでも。
「人それぞれでいい」「違いを認めよう」「個性を大切に」——
まるで万能のキーワードのように使われています。
けれど、実際にその「多様性」を本気で認めている人は、どれほどいるでしょうか。
最近、「多様性パラドックス(paradox of diversity)」という言葉が思い浮かびました。
直訳すれば「多様性の逆説」。つまり、多様性を掲げる人ほど、他者の多様性を認められないという現象です。
「正しい多様性」を押しつけていないか
例えば、ある意見を聞いたときに、
「それは多様性に反している!」と怒る人がいます。
でも、それ自体がすでに「自分の考える多様性」を相手に押しつけているのではないでしょうか。
「みんな違っていい」と言いながら、
「でもこう考えない人はダメ」と線を引く。
それは“多様性”という名のもとに、
新しい不寛容を生んでしまっているようにも思えます。
子どもたちにも見えるこの矛盾
塾で生徒たちと話していると、
「意見を言うのが怖い」という子が少なくありません。
理由を聞くと、「否定されるのが嫌だから」「空気が変わるから」と答えます。
それは決して臆病なのではなく、
今の時代の“空気”を敏感に感じ取っているのだと思います。
「自由に発言していい」と言われながら、
実際には“正解っぽい意見”以外は受け入れられにくい。
大人社会でもよく見られる現象です。
本当の多様性とは「自分の中の違い」をも受け入れること
hal学習塾が大切にしている3つの「自」——
自律・自重・自発。
これらは、他人との違いを認める前に、
まず「自分をきちんと認め、律する」姿勢から始まります。
自分の中には、矛盾する考えや感情があっていい。
「やる気がある自分」と「面倒くさい自分」も、
どちらも自分の一部です。
それを否定せず受け入れることが、
人の多様性を理解する第一歩になるのだと思います。
教室で生まれる小さな「違いの肯定」
授業中、「え?そんな考え方もあるの?」と
生徒同士が顔を見合わせる瞬間があります。
その表情を見るたびに思うのです。
多様性とは、他人を変えることではなく、自分の視野を広げることだと。
誰かの意見を聞いて「自分と違う」と感じたら、
そこで対立ではなく「なぜそう思うんだろう?」と考えられる人であってほしい。
それが「考える力」であり、「生きる力」につながっていきます。
“多様性”を語る前に、耳を澄ませよう
多様性とは、「声の大きい人の意見が通る世界」ではなく、
「小さな声にも耳を傾ける世界」です。
塾の教室でも、そんな空気を大切にしています。
一人ひとりの考え方や学び方の“違い”が、
お互いを成長させていく——その循環こそが、教育の醍醐味ではないでしょうか。







