未来から見たら、今も不適切かもしれない。
〜“正しさ”よりも、“熱”を信じたい〜

2025年10月20日 | お知らせ, 中学生, 小学生

「2024年当時の表現です」という一文の意味

ドラマ『不適切にもほどがある‼️』の最終話、
最後に映し出されたテロップを見て、
思わず深くうなずいてしまいました。

「この作品は不適切な台詞が多く含まれますが、
時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描くため、
2024年当時の表現をあえて使用しました。」

多くの人が「1986年のことを言ってるのかな?」と思ったはず。
でも、あえて「2024年当時」と書かれている。
それはつまり、今この瞬間の私たちの“常識”すら、
いずれ過去のものになる
というメッセージなんです。


時代は変わる。正しさも変わる。

1986年には、バスの中でタバコを吸う人がいて、
学校では先生が生徒を呼び捨てにし、
「根性でやれ!」が励ましの言葉でした。

今の感覚からすれば“完全に不適切”。
でも、あの時代の人たちはそれを悪意ではなく、愛情の形として使っていた。
本気で、子どもを育てようとしていた。

そして令和の今は、
「多様性」「共感」「配慮」が大切にされる時代。
でも——
過度な“配慮”が、子どもたちから挑戦する力を奪っていないか?
“傷つかない教育”が、強くなる経験を遠ざけていないか?
私はいつも、その境界線に迷います。


教育に「正解」はない

教師として、塾の講師として、
毎年変わる生徒たちを前にして感じるのは、
“正しさ”というものの儚さです。

去年うまくいった教え方が、
今年の子には響かない。
かつての「厳しさ」が通用しなくなったかと思えば、
今の子のほうが逆に“厳しく言ってほしい”と願っていたりする。

結局のところ、教育に絶対的な正解なんてない。
あるのはただ、
「本気で伝えよう」とする熱だけ。


hal学習塾が信じる“熱”

hal学習塾が大切にしているのは、
「自律」「自重」「自発」。

これは、どんな時代に生きても必要な力です。
自分で考え、自分を律し、自分から動く。
それはAIの時代にも、どんな新しい教育システムが生まれても、
決して古くならない“人間の力”。

だから私は、どんな時代でも「熱」を持って生徒と向き合いたい。
たとえ言葉の一部が、
30年後の誰かから「不適切」と言われたとしても、
その言葉の奥に“信頼”と“愛”があったのなら、
私はそれでいいと思っています。


未来の誰かに笑われても

きっと、2054年の人たちがこの時代を見たら、
「え、スマホを手で持って操作してたの!?」とか、
「そんな勉強法、非効率すぎる!」って笑うかもしれない。
でもそれでいい。

私たちは、“今”という時代の中で、
“今できる最高の教育”を本気でしている。
それを未来の誰かが笑うなら、
それこそが時代が進化した証拠なんだと思う。


最後に

教育は、常に“未完成”の営みです。
「これでいい」という完成形は、きっとどこにもありません。
だからこそ、私たち教師もアップデートを続ける。
でも、変えてはいけないのは“熱”の部分。

未来から見れば不適切かもしれない。
でも今の子どもたちに、
「本気で信じてくれる大人がいた」と思ってもらえるなら、
それで十分です。

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