「叱る=悪」ではない
近年、「叱らない子育て」「褒めて伸ばす教育」という言葉がよく聞かれます。もちろん、生徒の努力や成長を認め、褒めることは大切です。しかし一方で、「叱ること=悪」という風潮が強くなりすぎてはいないでしょうか。
学習塾という場においては、「勉強するために来ている」という大前提があります。にもかかわらず、机にノートもプリントも出さず、スマホをいじって周囲に話しかける…。これは学びの場を自ら放棄しているだけでなく、真剣に取り組んでいる仲間の邪魔にもなります。
この状況で叱るのは、子どもの人格を否定するためではなく、「その行動が場にふさわしくない」ことを伝え、正しい方向に戻すためです。
自律・自重・自発を育てるために
hal学習塾が大切にしている3つの「自」――自律・自重・自発。
叱るという行為は、この3つを生徒に促すためでもあります。
- 自律:スマホの誘惑を断ち切り、自分で勉強に向かう力。
- 自重:周りの仲間の集中を尊重し、迷惑をかけない姿勢。
- 自発:自ら机に向かい、未来のために努力する心。
生徒がまだ幼さを残す年齢である以上、最初からこれらを完璧に備えているわけではありません。だからこそ、場にそぐわない行動をとったときは、大人が軌道修正をしてあげる必要があります。その「ブレーキ」こそが叱ることの役割です。
「優しさ」と「甘さ」は違う
「叱ると嫌われるのではないか」「厳しすぎるとついてこなくなるのでは」と不安に思う保護者もいるでしょう。ですが、叱らずに放置することが本当に子どものためになるでしょうか。
もし私が見て見ぬふりをすれば、その子は「勉強しなくても許される」と誤った学びをしてしまいます。これは将来にとって大きなマイナスです。
本当の優しさとは、「間違った方向に進みそうなとき、立ち止まらせて正しい道を示すこと」です。甘やかすこととは全く違います。
周りの子どもたちへの責任
塾は一人の生徒だけの場所ではありません。真剣に勉強しようと机に向かっている子たちがいます。その努力を乱す行為があれば、止めるのは指導者の責任です。
教室全体が集中できる空気を保つこと。これは集団指導塾として絶対に譲れない部分です。だからこそ、叱るべき場面ではきちんと叱ります。それは「勉強する姿勢を守る」という、すべての生徒への約束でもあるのです。
叱られた経験は成長につながる
子どもにとって「叱られる」という体験は、決して無駄ではありません。むしろ、そのときは嫌でも、後から振り返れば「あのとき言われたからこそ、自分は変われた」と気づくことが多いものです。
社会に出れば、注意も叱責も日常茶飯事。学校や塾での叱られる経験は、将来社会に出たときの耐性や適応力を育てる土台になります。だからこそ塾では、ただ勉強を教えるだけでなく、そうした「人としての成長」にも責任を持ちたいと考えています。
hal学習塾の指導スタンス
hal学習塾は、「褒めるべきときはしっかり褒める」「叱るべきときはきちんと叱る」。この当たり前を貫いています。
厳しさの裏には必ず「期待」があります。勉強に向き合える子になってほしい、仲間を大切にできる子になってほしい。その想いがあるからこそ、叱るのです。
「自習に来て30分、スマホをいじって周りに話しかけていたら叱る」――それは当然のことです。むしろ、叱られずに放置される方が、子どもにとっては不幸ではないでしょうか。